ごあいさつ

 私がこの地に生かされた意味、そして、この地でできることをあの日からずっと考えてき
ました。まだまだ結論も出ていませんし、これからも考え続けるのだろうと思います。

 震災から 15 年の節目にあたり、地域の皆さまと共に楽しめる居場所づくりをしたいと考
え、多目的レンタルスペースとして自宅の活用を図ってみることにしました。このスペース
で何ができるのか、どう活用していただけるかは未知なるものです。しかしながら、地域に
おける賑わい創出や様々な文化、教育、コミュニティの醸成に関わっていける場として提供
していくつもりです。人と人とが繋がり、あたたかく知恵ある場でありたいと願っています。

 これからの未来を創る子どもたち、今の社会を支えている大人たち、たくさんの経験と知
恵をお持ちのシニア世代の方々、誰もが自分らしくおのおのの素敵を発揮できる場であり、
大切な居場所となるよう微力ながら、心を尽くしていきたいと思います。

【エピソード・・・3・11を経て】

私自身は、その時、勤務地である大曲小におり、数日間は夜を徹して避難所運営に明け暮
れていた。周囲の情報があまりにも入らず、自宅へ帰る道は閉ざされていた。5 日目ぐらい
だっただろうか、やっと、息子が私の安否を尋ねて仙台から自転車で来てくれた日、棒で地
面を確認しながら帰宅した。鍵は職場の泥の中に埋もれたままだったが、変わり果てた自宅
の入り口を封鎖するものは何もなかったので、簡単に入ることができた。

リビングのテーブルの上には、地震の前日に亡くなったウーパールーパーが棺桶に見立
てた箱の中に安らかに眠っていた。大型冷蔵庫などは逆さまに転がっていたのに、おそらく
テーブルだけはスッと水に浮き、時間をかけて泥に落ちたのかと思われる。2 階へ上がると、
本棚だけが倒れて本が散乱しただけでほぼ通常に近い状態だった。(ほとんど家具もなかっ
たから・・・?)1 件の家の中で、1/2の異常と1/2の日常が同居していた。夜、2 階で
眠り、朝日と共に目が覚め、夢であったかと思いながら階下へ降りると、一機に現実の泥に
まみれた世界が迫ってくるのみだった。 それでも、我が家は建っていた。そして、私は生
きていた。周囲の惨状を見れば、できることを探すことしか考えられず、今に至る。

ただ、愛犬の亡骸だけは、庭に眠ることとなった。そして、そこに納めたとき、食料が十
分に行き渡っていないのにお向かいの S さんがたった1つのおにぎりをお供えしてくれた。
水もない、花も草さえないお参りのスタートだった。今は、毎年、春から秋へと長い期間、
そこに淡いピンクの薔薇が咲き誇る。

だから、私は一人でも、今もここに居る。